前回の記事を読んだ若い人から「私は気候変動問題について関心があるのだが、周りの大人が耳を貸してくれない。どうしたらいいのでしょうか。」という質問をいただきました。実は、こういう若者の声はよく聞きます。そこで、きょうは若い人たちに向けてのメッセージです。そんな若い人達とどう接したらいいのかと思う大人の方にも参考になるかもしれません。
気候変動コミュニケーション
前回、気候変動についてのコミュニケーション、特に無関心層への啓発について書きました。
これに対していくつか意見や質問をいただいた中で若い人からのものがありました。
「私は気候変動問題について関心があるのだが、周りの大人が耳を貸してくれない。どうしたらいいのでしょうか。」というものです。
実は気候変動問題について講演やワークショップなどで話をする時、若い人達からこういう声はよく聞きます。そういう話を聞くために参加しているわけなので熱心な人が多いのですが、自分たちがいくら声を上げても周りの大人は聞いてくれないどころか、いやな顔をされたり「そんなことをいう暇があったら勉強しなさい。」と言われるというのです。
若者と気候変動
若い人たちが気候変動問題に熱心になるのは当然と言えば当然です。地球が温暖化すると言っても、高齢者にとっては本当に取り返しがつかないような状況になる頃には自分はこの世にいないと思うのに対し、若者にとっては自分や自分の子供、孫に影響が及ぶと予想される事柄だからです。
それなのに、自分たちができることが限られていて、その問題を解決する意思決定層である政治家やビジネスエリートはほとんどが「逃げ切り世代」。 今の損得勘定や次の選挙で票を取れるかどうかばかりを考えて、数十年後に地球がどうなるかという事には関心がないようです。
彼ら「ブーマー」(高度経済成長期育ちのベビーブーマー世代)がまき散らし続けてきたCO2のおかげで、自分たちの未来が危うくなりそうなのに、そのツケを支払うのは未来の私たちだという不公平感は、先進国と途上国の間に存在する気候正義問題と同じく、当然のものといえます。
グレタの怒り
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリが世界中の政治家や国家エリートを鋭い言葉で批判するのも、それについて否定的な意見を返されるときの彼女の怒りに満ちた返答も、その典型的な例でしょう。
中には「あのような乱暴な言い方は逆効果。あれでは、人に意見を聞いてもらえない」というような辛口の批評や「世の中を知らない子供がたわけたことを言っている」といったような揶揄も聞こえてきます。
けれども、そういう人は彼女がこれまでにたどった道のりや、たった一人で始めた活動が世界中でどれだけの影響を及ぼしたかということをあまり知らないことも多いようです。
グレタや若い人たちにとっては、COP26に代表される気候変動問題に取り組むための国際間の協力や各政府の目標、企業活動やSDGsの取り組みでさえ、ただの「グリーンウォッシュ」であり、環境に配慮しているように見せかけて実はうわべだけの欺瞞に過ぎないと思えることもあるでしょう。
グレタがCOP25で「How dare you (よくもそんなことができるね)」とか、COP26で「Blah blah blah (べらべらとたわごとを言っている)」とか、強い言葉で政治家や企業家を批判するのを聞いて、各国のエリートが苦虫をかみつぶしたような顔になってしまう気持ちもわからないでもありません。
気候変動について関心がある人でさえ、自分たちが努力している取り組みについて「意味がない」と批判されたら、いい気持ちがしないだろうし、罪悪感を持ってしまうこともあるでしょう。
また、このような直接的な攻撃によって、強い反発を生んでしまうこともあります。
トランプのパリ協定離脱騒ぎはまだ記憶に新しいですね。バイデンが大統領にならずトランプが再選されていたら、どうなっていたでしょうか。バイデンは大統領就任後すぐにパリ協定に復帰しましたが、トランプのままだったら?
世界の最大排出国である米国がパリ協定を無視するようなら、いくら他の国々が気候変動に向けて取り組みを進めても、その効果はどうしても限定的になってしまっていたでしょう。
若者の声は無意味で逆効果?
それでは、グレタのような「過激」な環境活動家が性急な変化を求めて批判ばかりするのは無意味で逆効果なのでしょうか。彼らは無責任な立場から、実現不可能な無茶な主張ばかりしているのでしょうか。
政治というものは、妥協のたまものです。特に気候変動問題のような、それぞれ状況が異なるたくさんの国々が何らかの合意に達するには、妥協がかかせません。それぞれの国の実情や問題点を理解しあって、話し合いを続け、妥協点を見出しながら少しずつ前に進んでいかなければならないのです。
その「少しずつ」のペースが、変化を求める活動家や自分たちの未来がかかっているのにと焦る若者にとっては遅すぎると感じられるのも理解できます。
また、気候変動問題がこれほど深刻に語られるようになる前にすでに長い人生を生きてきて、それぞれのライフスタイルが確立している大人たちが理解してくれないと思うのも、ある意味仕方がないことでしょう。
人間というものはもともと保守的で急な変化を好まないものです。これまで当然だと思ってきた経済成長や生活様式を見直さなければならないと言われても、すでに自分が得ているものを自ら手放すことは、新しいものを得られないことよりも難しいのです。
仕事を持ち、家を持ち、車を持ち、貯金もあって、家族を養わないといけないような大人になると、いくら環境のためとわかっていても簡単に捨てられない荷物が多すぎます。
最近話題になった、斎藤幸平著「人新世の資本論」 などで提唱される「脱成長」は、経済成長しないでも豊かな生活ができるという考え方です。これを書いた著者も含め、バブル後に物心ついた若い人にとっては「気候変動という大きな問題を解決するためには、経済成長をあきらめても構わない」いう考え方は比較的受け入れやすいのではないかと思います。
でも、高度経済成長やバブルを経験し、その恩恵で何らかの資産を得た世代には、頭では理解しても、すでに身に付いたライフスタイルや価値観を変えることは難しいのです。
そのような「お荷物」を持っていない若い人達、確固としたライフスタイルをまだ築いていない世代だからこそ「脱成長」のメッセージが届くのでしょうし、それが今の若者世代のメインストリームとなることも可能だと思います。
そうだとしたら、10年、20年経って、政治や企業での意思決定者が世代交代することで、世の中は自然に変わるということになります。でも、それだと時間がかかりすぎですよね、気候変動問題は待ったなしなのですから。
では、どうしたらいいのでしょうか。
若者に何ができるか
若い人達は、まず、自分たち世代の間で声を広げてください。
最初は、グレタのようにひとりぽっちで座りこみをしなければならないような環境にいる人もいるかもしれません。でも、一人で悶々とするのではなく、友人や知り合いに働きかけてください。
そういう人が周りにいなかったら、集会に出かけたり、オンラインで関心を持つ仲間とつながることもできます。 一人でストイックに悩むのではなく、活動を楽しんでほしいのです。そうしないと長続きしないものだし、幸せにもなれないから。
そして、みんなで協力して、周りの大人や意思決定者に自分たちの意見や怒りをぶつけてください。 どうして自分がそう思うのか、自分にとって何が問題なのかをそのまま正直に話してください。
「じゃあ、あなたはどうして車に乗るのか、肉を食べるのか、新しい服を買うのか?」と逆に質問されるかもしれません。そしたら、CO2を出すような車に乗るしか移動手段がないこと、環境に良くない手段で生産される食べ物や服しかお店に並んでないことを批判する声を発信してください。
気候変動問題を解決するには、一人一人の行動も大事だけど、社会や政治、経済の仕組み全体を変えないと成し得ないからです。
おじさんの説得はマイルド活動家にまかせて
最後に実利的でもあるし、ちょっと言い訳じみた提案です。
グレタが代表する、ピュアで「過激」な活動家や団体の運動は、注目を集める意味でとても効果的です。意思決定者だけではなく、問題に関心がない多くの一般民に気づきを与えるからです。
でも、グレタがいくらトランプにがみがみ言っても効果がないように、ハードコアな気候変動懐疑論者や何らかの利益のためにこの運動に反対する人たちを説得するのは簡単ではありません。逆に反発をまねいてしまう事にもなりかねません。そういう人たちに声を上げることは正しいのですが、コスパが悪すぎます。実際の説得は他の人にまかせる方がいいでしょう。
世の中にはもっと「マイルド」な方法で気候変動問題に取り組んでいる人たちがいます。若者や活動家から見ると生ぬるいやり方に見えるかもしれませんが、その人たちは自分たちがリーチできる、価値観が比較的似ている人々を対象に声を届けようとしています。運動が広まるためには相互の信頼が不可欠なので、なるべく「自分たちの仲間」と思えるタイプの人たちがメッセージを伝えたほうが効果的です。
頭の固いおじいちゃんたちを説得するのは私たちには難しいなと思ったら、そういう人たちは「マイルド」なおじさん活動家にまかせたほうがはやいし、楽です。 ピュアな人ほど、そのような「妥協」は許せないかもしれないけれど、自分の大切な時間とエネルギーを無駄なことに使わず、成果を上げる可能性が強いことに使うのが、長続きのこつです。
そして、共感できる仲間と活動を楽しんでください。そのうち、あなたたちの時代が来ることを信じて。
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