グローバルSDGs講師育成講座の受講生が提出してくださっている課題レポートの中から一つを紹介します。

講座のLesson 1の課題で、タイトルは:
「あなたがSDGs講師育成講座を受講することに決めた理由は何ですか」

SDGs講師講座の受講生にはさまざまなバックグラウンドの方がいて、それぞれ異なる理由や目的で受講を決めていますが、その一例として参考になるかもしれないと思いました。

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SDGs、特に環境問題について「自分ごと」として考え、行動するようになったのは今年に入ってからのように思う。 

 きっかけは、漠然と抱いていた自給自足的な暮らしへの憧れを現実のものとする一歩として、自宅アパートのベランダで家庭菜園を始めたことと、コミュニティ農園で稲作を始めたことだ。

 その前の年に転職し、職場が郊外から都心に移り、自然に飢えていたことも関係しているのかもしれない。それまでは農業なんて自分とは無縁と考えていたが、始めてみるとなかなかこれが面白い。  

 ベランダでは最初にリーフレタスを、次いでブルーベリーやミニトマト、そして買ったものの芽が出てきてしまったジャガイモやタマネギを植えてみた。ぐんぐん育っていく野菜たちはペットのようで可愛く、虫がつけば追い払った。

 そんな風に手をかけた野菜たちをついに収穫できたときの喜びはひとしおである。また同時にコンポストを始めたのだが、これまで「生ゴミ」として廃棄していたものが「堆肥」として循環することに、そして生ゴミをあっという間に分解してしまう微生物たちの仕事に感動を覚えた。

 コミュニティ農園の稲作では、種まきから収穫までをほとんど手作業で行った。稲作は一人ではできないことから、お互いに助け合う「結」の作業と呼ばれている。こうして日本人の精神性が形成されていったのだなと感じた。また刈った稲を干すはざかけの風景は機械化で失われつつあるというが、日を浴びて輝く稲は本当に美しかった。

 しかし、東京都国立市にあるその田んぼは相続税が高く、維持したくても一部を宅地として手放さざるをえないのだという。また米の買取価格も安く、農家の仕事だけで食べていくことは難しいそうだ。 

 それを聞いたときに様々な疑問が湧いてきた。 

 日本では人口が減って空き家も多いのに、これ以上新しく宅地を開発する必要があるのだろうか?なぜ農家の収入がこんなに安いのか?資源が有限であることを人は忘れていないだろうか? 

 都会で生活をしているとあまりにも自然とかけ離れすぎていて、自分たちも自然の一部だということを忘れてしまう。

 また今の社会の仕組みでは、企業はどうしても目先の利益を上げることが命題となってしまいがちだ。 

 SDGsに対する取り組みをしている企業も増えてきたが、本当にそれはサステナブルなのか。循環型の社会を実現している地域ではどんな実践をしているのか。それを体系的に学びたいと思い、本講座の受講を決めた。  

 今後の目標だが、グローバルな問題を解決するためにまずは足元から始めたい。今興味を持っているのは2006年にイギリスのトットネスから広まったトランジション・タウン活動だ。 

 その定義は「市民自らが創造力を最大限に発揮しながら地域のレジリエンス(底力)を高めることで、持続不可能なシステムからの脱依存を図るための実践的な提案活動」(『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる トランジション・タウンという試み』榎本英剛著・地湧の杜より) である。私が住む東京都府中市にもトランジションタウンの団体がある。 

 そして本講座の受講をきっかけにSDGsに関する発信力を高め、一人でも多くの人の意識と行動に変化を起こしたい。またインプットとアウトプット、知識と実践をバランスよく行っていきたい。

村上悠紀